営業が元気になる“次世代営業研究会”営業マン交流会、研究活動、営業トレーニング

私の「営業道」紹介

私たちの営業道を作ろう


私の営業道を考える会

武士に武士道があるように、商人に商人道があるように、営業にも営業道が必要だと考えます。それが仕事であれ、なんであれ自らが進むべき道を極めようとするとき、そこに「道」が必要となります。

かつて武士が武人ではなく官吏(しかも保身のみを考える役人)になった元禄の時代に武士道が説かれ、商人が元禄バブルの崩壊により社会的批判を浴びたときに商人に商人道が説かれたように、平成不況の今日にあるべき営業道を考えることは意義深いといえます。

営業職に従事する者がかくあるべきと目指す心技体の規範を自らつくり、もつことは極めて重要であると考えます。次世代営業研究会では、「私の営業道を考える会」を分科会として発足し、多くの心ある営業人のご参加をお待ちしています。 言葉や内容にこだわらず、熱い思いを送ってください。「私の営業道を考える会」にて自主的に編纂の上、発信してまります。

ご存知の方も多いかと思いますが、武士道、商人道については以下をご参考までに。
参考資料:
商人道については「京の春夏冬」
武士道については「武士道バーチャル博物館」
「武士道」
その他を参照しています。

武士道に学ぶ

武士道とは、武士が、自分自身の不始末を審判するためのよりどころとして共通の規範が必要になりつくられた、武士の職業倫理または理念だといってもいいでしょう。

武士道といっても2つの流れがあるとされます。ひとつは、徳川武士道といわれ、もうひとつは葉隠(はがくれ)武士道といわれる。専門家によると、前者は仏教(特に禅宗)を、後者は儒教(ただし、日本化されたもの)の影響を受けているといわれる。

このふたつの武士道の代表的な規範を紹介しよう。

1.徳川武士道

善悪の理屈を知りたるのみにては武士道にあらず、
善なりと知りたる上は、
直に実行にあらわしくるをもって、
武士道と申すなり。
そしてまた武士道は、
本来心を元にして、
形に発動するものなれば、
形は時に従い、
事に応じて変化変転極まりなきものなり。
山岡鉄舟

山岡鉄舟(やまおか・てっしゅう)
勝海舟,高橋泥舟と共に幕末の三舟と呼ばれる。
明治維新前は幕臣であり、勝海舟と西郷隆盛が江戸開城を取り決めた会談を設定したことで知られているが、高名な剣術家でもある。
20歳のとき(1855年)に槍術師範の山岡家を継ぎ、江戸においては幕府の武芸所・講武所(1855年設置)に入り剣術をさらに磨いた。
1863 年に清河八郎が提案した幕府浪士隊に講武所剣術世話心得として参画した(この浪士隊から新撰組が誕生している)。維新後は、新政府の役人を勤めながらの鍛錬であったが、1880年には一刀正伝無刀流(無刀流)を興した。その極意は「心の中以外に剣はない」という精神的なもので、禅の影響を強く受けている。



2.葉隠武士道

武士道と云は、死ぬ事と見付たり
山本常朝

葉隠は元佐賀藩士山本常朝の口述を書にしたもので、鍋島藩に仕える武士たちの修養の書である。この聞書きは、元禄という武士の権力より町人の経済力がものを言う町人文化へと時代が変わり、若い武士が損得を考え、内輪のことに関心が向き、色欲の話しに夢中になっている、そんな時代を嘆いて生まれたともいわれる。山本常朝が42歳の時(1701年)、九歳の時から仕えてきた二代藩主光茂が69歳で亡くなり、常朝は主君である光茂が幕府に先んじて行った追腹禁止の令により殉死の思いはかなえられなかった。秘本扱いされてきた葉隠は心ある武士によって秘かに写され、廻し読みなどされてきたという。



商人道から学ぶ

商人道は、商(あきない)の本質と術、そしてその実践者としての商人のかくあるべき姿を道として説くものです。

先人が説く商人道には、大きく分ければ2つの形で今に受け継がれています。ひとつは商人、さらには人間の道徳・思想・学問としての商人道であり、もうひとつは社訓や家訓、さらには格言として受け継がれている商人道です。
この2つの流れの代表的なものを紹介しよう。

1.石田梅岩の商人道
「売利を得るは商人の道なり」
梅岩は「商人が利益を得るのは、武士が禄をもらうのと同じ」と述べて、商行為の正当性を説いた。

「仁・義・礼・智の心が信を生む」
商人が「仁(他人を思いやる心)」、「義(人としての正しい心)」、「礼(相手を敬う心)」、「智(知恵を商品に生かす心)」という4つの心を備えれば、お客様の「信(信用・信頼)」となって商売はますます繁盛すると説く。

「真の商人はさきも立ち、われも立つことを思うなり」
われ(当方)が儲かり、さき(相手)が損をするというのは本当の商いではない。大丸の創業者である下村翁も「先義後利」という格言を残している。

「倹約と正直があきないの原点」
梅岩は「万物を効果的に用いること」が大切だと述べ、「物事の無駄を省く努力をすれば、すべてに余裕が生まれる」と倹約の大切さを訴えている。 さらに、「正しい商売をするには、まず正しい心を持たなければならない」と述べている。この「倹約」と「正直」は梅岩の掲げた心学の中心思想といえる。

石田梅岩 石田梅岩は、「士農工商」の封建社会にあって、広く庶民に「あきない」の基本を説き、京都商道の開祖ともいわれている。梅岩の教えは「石門心学」と呼ばれ、儒教や仏教、日本古来の神道の思想を取り入れたもので、当時は憎むべきものとされていた商人の営利活動を積極的に認め、勤勉と倹約を奨励しました。梅岩が「都鄙問答」を著したのは、元文4(1749)年で元禄バブルが崩壊し、有力商人が相次いで追放・財産没収の憂き目にあった時代であり、商人の営利活動を憎む風潮が世の中全体を覆う中であった。

2.社訓・家訓、格言の商人道
「先義 後利」(大丸百貨店の社是)文字通り、義を先にして、利を後にするという意味。そうしたら後から利益が生まれてくる、利益がついてくる。または利益を考えるのはその後である。

「商品の良否は明らかに、これを顧客につげ、いやしくも顧客の貧福貴賤によりて差等を付すべからず」(飯田新七・高島屋の祖)よい品物は良いといい、悪い品物ははっきりと悪いと告げる。嘘をついてはいけない。また客の服装だの身分だので分け隔てするのは良くない。お客様はすべて公平に扱うべきである。

「無理と身勝手とをやめれば疑いなく安心になって繁盛する」(佐竹家「家業一枚起請分」) 道理に合わない商売や、我が身勝手な行為を慎むと、安心して暮らせるし、家業が繁盛することは間違いない。

「他国へ行商するもの総て我事のみと思はず 其の国一切の人を大切にして、私利を貪ることを勿れ」( 近江五個荘 中村治兵衛家「家訓」) 売手によし、買い手によし、更に世間によしという三つめが近江商人の特色だということ。

私の営業道の紹介

「営業とは心を鍛える職業なり。周りの成長に心からの助けができて、初めて至る境地なり。」

当り前のことかもしれませんが、自分にはまだまだなかなかできていないですね。ダントツセールスの経験もある、海外での営業経験もある、新しい事業の営業も牽引してきた・・・されどなにか満たされない自分がいた。自分はこれまでいったいどれほどの人の成長を心から助け、喜び、祝うことができただろうか?「きみならできる」といっているときは、概して自分にいっていることが多かったのだろうかと自問する。

これまで私は、自分をよく知る人にたくさん助けていただいた。ついつい弱気に流れそうになるとき、そっと何かエネルギーをいただいた。言葉だったり、行動だったり、引用だったり・・・。あとになって気づく。何の得にもならないのに、いつもそうだった。この人を見ていて気づいた。この世を生き抜いていくことは皆たいへんなんだ。とかく営業は、競争至上主義、売上・成果至上主義である。だからこそ、真の「こころの強さ」を学んでいく必要があると思う。営業という道を歩みながら、営業の仲間を心から助けてあげること、悩んでいる営業の仲間を支援してあげること、そして自分が学んだことを惜しげもなく伝えていくこと、それができる心の強さをぜひ持ちたい。自分が調子いいときには、できていると誤解し傲慢になってしまうことが多い。それは本当に強い心ではなかったのだと、いろいろな経験を通して気づいた。これが今思う「私の営業道」です。

(営業歴15年、男性)


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